生涯「カンニング竹山」…中島は家族であり戦友であり夫婦だった・今日起きたあらゆる事象、政治・経済・社会・芸能等 の中でちょっと気になった話題を取り上げてみるブログです。

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生涯「カンニング竹山」…中島は家族であり戦友であり夫婦だった


 お笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸さんが、白血病とウイルス性肺炎を併発させ、35歳で亡くなってから一夜明けた21日、相方の竹山隆範(35)が都内で会見した。沈痛な面持ちで「残念な気持ちでいっぱいです」とうなだれたが、「供養といってはなんだが、一生懸命仕事をしていきたい」と、一人になった今後も「カンニング竹山」として活動を続ける決意を語った。

 竹山の涙は枯れ果てていた。「昨日(20日)は彼女と、しこたま泣きました」中島さんとも交流があった同せい中の彼女と悲しみにくれ、この日は涙を見せなかった。しかし最高の相棒を失い、会見中は最後まで神妙な表情を崩さなかった。

 「今回はまずいかな」竹山が覚悟したのは、11月末。骨髄移植を受け、夏には一時退院した中島さんの白血病が再発し、再入院したときだった。今月初旬、中島さんと「調子がいいので(医師から)自宅に戻りなさいといわれた」「よかったな」というメールのやりとりが最後の“会話”に。数日後に肺炎を併発し、竹山が病院に駆けつけたときは、人工呼吸器を付けて話せない状態だった。

 20日の午前10時ごろ、仕事前に病室を訪れ「頑張れよ。また来るから。漫才やるぞ」と声を掛けた。「奇跡が起こればいいな」という祈りは通じず、同11時46分、中島さんは永眠。最期はみとれなかった。2年間の闘病生活。竹山は「最後の方は苦しそうだった。安らかに眠っていたので、正直よかったのかな、と思った」と、つぶやいた。

 中島さんは04年4月に真奈美夫人と結婚し、9月には長男が誕生。竹山は「自分の息子がこの世に生をなし、奥さんがしっかり支えてくれたのは、中島にとって救いだった」と話した。この日は悲しみをこらえ、テレビとラジオの仕事を1本ずつこなした。今後も「カンニング竹山」として、「家族であり、戦友であり、夫婦みたいだった」という中島さんの分まで、芸能活動に励んでいくつもりだ。


病気とはいえ若い人が逝ってしまうのは悲しき事。
ましてや言わんや、家族が居る場合は更に切ない。

相方といえど家族の様な存在…悲しさは同じなんだろな。

残された者は、いつまでも引きずる事無く、忘れる事も無く生きていくしかない。
厳しくてもこれが現実…。

中島さんのご冥福をお祈り申し上げます。


(引用:http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2893414/detail?rd

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